平成ランナー人生の思い出4
1年以上前に投稿した平成ランナーの思い出シリーズ 😆
GWに整理したらまだ写真あったので簡単にアップしました。
これはYANCOさんが40歳頃の北海道ロードレースです。この時、真駒内公園の改修工事で例年とコースが変わり距離が500mぐらい長かったそうで、距離が合っていれば10キロ40分切ってたはずでした。幻の40分切り。
今のYANCOさんしか知らない人はびっくりするかもしれませんが、この頃は週3日ぐらい走っていたので速い方だったんですよね。実は学生時代、校内マラソンで上位に入るぐらいだったそうなので本当はちゃんと練習してたらもっと速くなれたのにもったいないですが仕事の環境もあるから仕方ないです。
富良野へそマラソンの表彰式。富良野のマラソン仲間のお宅に泊めてもらいました。男子は最長種目10キロですが女子は最長5キロでした。4位が私です。今よりモモが太い💦
美瑛ヘルシーマラソンで父と私。父はこの大会の第1回大会から連続出場していて、20回の時に表彰されたんじゃなかったかな?この頃はまだ60半ばぐらいだったのかな。その後70歳ぐらいで走るのをやめて卓球を始めました。マスターズの選手から受ける印象では75歳前後が肉体的に老化が急に進む時期なんじゃないでしょうか?その辺で選手の数が減るような。70代後半とか80代になっても続けられる人はレジェンドの域だと思います 💡
1998年の奥尻復興マラソンの時の写真です。
震災からの復興イベントでした。被害の大きかった島の南端青苗地区をスタート北上し、島の中心地、奥尻港の方まで走るハーフマラソンでした。この時はバイクにテントを積んで北追岬公園のキャンプ場に泊まったのでした。
キャンプ場の割と近くにホテルがあり(今は閉館)招待選手の森下広一さんが朝、走ってるのを見かけたことを覚えてます。
スタート地点の青苗地区は高い防潮堤が出来ていて、海が見えない所も多かったです。島民総出での応援という感じで、大漁旗を振って応援してくれた漁師のおじさんや、おばあちゃん達の「来てくれてありがとう」の声援に泣きながらゴールしました。
この写真は地元の大会関係者の方だと思いますがボランティアで撮影して個人的に送って下さったものです。今なら個人情報保護とかでそんなことは出来ないと思いますが当時はそんなことも可能でした。
今はもう無い深川クロスカントリーという大会。深川に桜山パワーアップロードというコースがあり、地元ランナーの手作り大会でした。女子は2,3人しか参加者がいなくてゴールすれば表彰台みたいな大会でした。競歩にのめり込んですっかりアップダウンが苦手になってしまったので、今ならジョギング程度でしか走れないだろうなぁ。。。
これは有森裕子さんが故障からアトランタオリンピック代表を賭けて出場、復活優勝した1995年の北海道マラソンですね。この時は篠路に住んでいて元町付近で応援した記憶。
こんなところでランニング関係の思い出は終わりですかね。
夏休み期間中時間があれば、リバーサルフィルムをデータ化したツーリングや登山やってた頃を振返ってみたいと思います。