道東カード集めとマンホール探しの旅3
翌朝は十勝晴れ 😀 ホテルの窓からは日高山脈が見えました。テーブルの上に山の名前が入ったイラストがあったけど、どれがどの山だかわかりませんでした(笑)多分この中のどれかが幌尻岳だと思います。
ホテルをチェックアウトしてから天気が良いので400mベンチで有名な緑ヶ丘公園へ。風が強かったけどラグビーボールで少し遊びました。
この広大な公園は昔は十勝監獄だったんですね。その時代のレンガ造りの石油庫(左)が遺構として残されています。明治33年に建てられたもので帯広市で現存する最古の建物だそうです。
緑ヶ丘公園は帯広に来る度に行ってるけど今まで気づかなかったなぁ。2020年に行った樺戸博物館にも樺戸監獄時代の同じような石油庫(右)がありました。
レンガと瓦は囚人が獄内の煉瓦工場で焼いた物だそうです。囚人達が十勝地方の開拓にも使われたのでしょうね。
この日は足寄、陸別経由で阿寒湖から釧路というルートでした。このルートには2006年に廃線になったふるさと銀河線の駅跡が道の駅になっている所が多いです。
道の駅ステラ★ほんべつ
本別町にバットに使われるアオダモをミズノに納品している製材所があるそうで、プロ野球選手のバットが展示してあります。そう言えばこの後に行く足寄もそうですが、この辺って林業も盛んな地域ですよね。
今回訪れた道の駅で、ここが一番購買欲をそそる駅でした。本別町と言えば豆の町。札幌などにも催事で来るぐらいの産地です。写真は撮っていないけどもちろん豆を買いました。そして地元産の豆を使っている醸造所があるのは今まで知らなったです。
左写真は陳列の一部ですが確かに麹や納豆はこちらのスーパーでも見かけるものでした。そして足寄のありがとう牧場の牛乳も売っていました。以前は年間会員になっていて牛乳やチーズを購入していました。会員制度が廃止になってからは年に1度、牛肉を買うだけになってしまいましたが。ここの牛乳はとても美味しいです。足寄の道の駅にも売っているので見かけたらぜひ飲んでみて下さい。
駅周辺でマンホールとポケふた発見。どちらも町の花、エゾムラサキツツジがデザインに入っていますね。
道の駅の裏手には木造のこ線橋が保存されていました。鉄骨はレールを再利用した物で1907年にドイツで製造され旧網走線に敷設され、1953年にこのこ線橋に再利用されたそうです。
中に入れるようになっていて、昔の駅の写真等が展示されていました。
上の写真は廃線前の最終列車でしょうか?
この近くに百年鉄橋という遺構が保存されていると看板で知ったので行ってみました。駅裏手の道を池田方面へ500mほど戻った所にあります。
パッと見、何のことはない小さな鉄橋なのですが…
よく見ると橋台がレンガ造で土木遺産に指定されています。
そして下の写真が空襲により損傷した箇所です。1945年7月15日(終戦1ヶ月前ですね)本別町が空襲の被害を受け死者40名、全焼家屋279戸、大破家屋112戸、罹災者1915人、十勝で最大、北海道でも5番目の被害だったそうです。だけど軍事的に重要な施設があったとは思えないのに何で本別が…という気がしますよね。レンガのえぐれている部分は爆撃の跡で、本別空襲の爪痕を後世に伝えるために保存しているそうです。
この後は足寄、陸別へとつづきます。
十勝晴れ、勝手にリンクを感じて笑っちゃいました(笑)
十勝の監獄、寒かったでしょうね~。
網走といい、やはり監獄は寒いイメージです。
それはそうと、奈良監獄もそうですが、当時の監獄って煉瓦造りでお洒落ですよね。
十勝が襲撃にあったとは知りませんでした。
爆撃の跡とか、実際に見ると、衝撃ですね。
私にとっての十勝は、乳製品や小豆のイメージです(*^^)v
アハハ、タイミングが良かった(?)かな
十勝地方、今でも冬には-20度前後に下がる日が多い所だから昔はもっと寒かったと思います。監獄に限らず、昔の構造物ってレンガ造が多いですよね。コンクリートが今みたいに普及していなかったからかもしれません。
それとこの石油庫がどうかはわからないのだけど、札幌に昔りんご倉庫として使われていたレンガの建物が残ってて、断熱効果を上げるため壁を中空にした構造になっているそうです。レンガだとそういう積み方も出来るのでしょうね。
本別空襲は私も知りませんでした。富良野に空襲があったと父から聞いたことはあるけど、本別町って農業や林業の町で、何のために空襲したのか理解出来ません。
十勝はそうですね、乳製品、スィーツ、農産物も色々美味しい食材の宝庫です。温泉もあるし空気も澄んでるし一度旅行に行ってみては?