平成ランナー人生の思い出3
ちょっと間が開きましたが続けます。
私より先に走り出して走力を付けていったYANCOさんが初フルを走ったのは定かじゃないんだけど私の記憶では洞爺湖マラソンだったように思います。
これは初マラソンの時ではないですが1234というナンバーカードで周囲のランナーに良いナンバーだね~とか話しかけられて調子に乗ってオーバーペースに、そして30キロの壁にぶち当たり後半は歩き4時間半以上かかってゴールした記憶。
この写真はゴール前でそれまで歩いていたけど何とか気力を振り絞って走ったという感じだったのではないかと思います。スキャナーの設定が上手く出来なくて表情がわかりにくいですがゴールは遠いな~って顔をしています(笑)
私の初ハーフもいつだか覚えていなかったのですが、この時の写真から1996年(平成8年)だったみたい。
当時は千歳日航国際マラソンという名称で9月に開催されていたんですよね。
初ハーフはフルマラソンで言う30キロの壁みたいな状態になったのと靴が小さかったらしく両足の爪の大半が死んで、15キロ過ぎから殆ど歩き2時間38分でゴールした記憶です。気温が高く救急車の出動も何度かあったとか。YANCOさんと父があまりに遅いので救急車で運ばれたのではないかとゴールで心配していたそうです。
その間1996年(平成8年)職場のパソコンがWindows95になったのを機に、パソコン購入!ソフトのエンドユーザーとして職場でパソコンは使っていたけど当時はキャラクターベースだったからMS-DOSのことだとかあまりわからなかったし、30万以上の価格でしたから個人が家庭用にパソコンを持つ時代ではなかったんですよね。ちなみに初めて買ったパソコンはNECのPC-98で20万ぐらいでした。
それをきっかけにNifty-Serveというパソコン通信を始めました。通信はモデム回線を使用して「ピーヒョロヒョロ、ヒャランララン」って音で繋がるんですよね。今の若い人ならそんなこと知らないですよね(笑)
その中にフォーラムというインターネットの掲示板みたいな物があって、その中にランニングフォーラムfrun(frunというのはフォーラムに入る時のコマンド)というのがあり、入ってみました。
今まで父と私達夫婦だけだったマラソン仲間が、ぐっと広がりフルマラソンを走っている方も何人もいて、自分もフルマラソンが身近になったように思います。
しかし辛かった初ハーフの経験から、フルマラソンを走る時は絶対完走できる自信がつくまで出ないと思ったのでした。
そこから更に3年後、途中急に練習量を増やして故障したりして停滞、ようやくフルマラソンのスタートラインに立つことが出来ました。エントリーしたのは旭川マラソン。当時は神居古潭まで往復するフルマラソンで体育の日に開催されていたんですよね。
初マラソンのタイムは4時間12分台で恐れていた30キロの壁は無く後半も殆どペースは変わらずにゴール出来た記憶です。
こうやって書いてみると色々懐かしいです。
(まだつづくかな?(^_^;))