北一条さっぽろ歴史写真館と北の道物語
朝の通勤ルートで地下鉄バスセンター駅下車、職場ビルまで地下を通るのですが、地上出口を変更したら北一条の地下駐車場への通路に「北一条さっぽろ歴史写真館」という写真展示があることについ最近気づいた(笑)
昼休みにゆっくり見学して来ました。昭和な世代には懐かしい写真が多かったです(平成時代のもあります)一部紹介します。
1960年の時計台。時計台って移築されたと聞いたような気がしますが、1960年には現在の場所にあったようですね。その頃の札幌の中心部はまだこんな状況だったとは思いませんでした 😮
ラジオ体操も懐かしいですね。今も夏休みにしているようですが自分が子供の頃はこの写真のように体育の得意な子がお立ち台に立ってやっていたような記憶が薄っすらあります。
連続して北の道物語という展示もありました。こちらは国道36号線の歴史メインの展示でした。
中でも昔の豊平橋の写真を見ることが出来たのが良かったです 😀
昨年の春のさわやかマラソンでTSUBAKIホテル前に豊平橋小史という看板を見つけてイラストでは見たけど写真は初めて。建設中の写真もありました。同じ時代なのか?旭川の旭橋に似てます。東京にも似た構造の橋が残っていますよね。今も残っていたら札幌のランドマークの一つになったと思うんだけどなぁ。
国道36号線の改良工事についての展示
「この札幌-千歳間を1年で改良し舗装せよ!」は米軍からの要請だったとか。しかしこの工事が技術の革新に繋がっていくんですよね。
右の全日空のバスが写っている写真は昭和47年の北広島市大曲付近です。走ってる車に時代を感じますよね。この頃にはかなり整備されていた感じがします。
実は私の父も昭和45年前後に国道36号線の改良工事(多分右写真がその工事の成果だったのではないかと思われます)に従事し、私も2歳~4歳まで札幌に住んでいたんです。
最初に住んだ家は札幌第一高校の近くで引っ越した時には電気が来ていなくて最初はランプを点けていた記憶がかすかに残っています。工事の進捗とともに宿舎を千歳方面へ向かって移り、最後は札幌ドームの近くの農業試験場付近の宿舎に住んでいました。近くに日糧製パンの工場があったことを覚えています。実家に残っていた祖母の健康状態から父だけが札幌に残り、母と私と妹は実家に戻ったのですが、それがなければずっと札幌に住んでいて人生変わったのになぁとちょっと残念に思います。
今日はカムチャツカ半島の地震で日本にも津波警報が出ましたよね。
自宅でテレワーク中でしたがこの辺は揺れは無かったので大地震があったことには全く気付かず、室蘭で仕事中のYANCOさんから津波警報で避難しているという連絡があり初めて知りました。それから程なく会社の安否確認のアプリから安否登録を促すメッセージが届きました。震災の教訓で警報が出ている地域の人達は迅速に避難しているようですね。
ロシアとの関係悪化で現地の状況がロシア報道機関のSNS動画でしかわかりませんが、建物が流されたりして大きな被害が出ているようです。マグニチュード8.7と言ったら大地震ですよね。犠牲者とか出てないと良いですが…。