炭鉄港カード(月形)
昨日は月形へ炭鉄港カードをもらうために行って来ました。また色々発見がありました 🙂
先週行った宮島沼からカード配布場所の月形樺戸博物館まで、5キロも無い距離だったんですが、時間切れで、効率悪いことになっちゃいました。
博物館へ向かう途中、ついでに新篠津村に寄りマンホールGETしました。アヤメのデザインでした。
そして月形樺戸博物館に到着。
受付でカードもらいました。
集治監というのは監獄のことだそうです。集治監の廃止後は町役場として昭和47年まで使用されていたそうです。
明治時代初期に、未開拓の地であった北海道はロシアによる南下政策からの備え、そして道路建設等の開墾が急務とされていました。
当時、政治犯が多く存在し、収容する施設が必要となり、囚人達を北海道開拓に使うために出来たそうです。政治犯の他に凶悪犯も収容されていたとか。
この集治監の長のことを典獄と言い、初代の典獄が月形潔という方でした。
この方の姓が月形町のいわれとなったそうです。
で、残念ながら館内撮影禁止なので写真はありません。
本来は入館料300円が必要なんですが、11月7~10日まで入館無料でした。
ゴールデンカムイスタンプラリーやスマホスタンプラリーのチェックインポイントになっているせいか、意外と入館者が多かったです。
今まで見て来た郷土資料館のレトロな品々とはまた違い、歴史的な価値のある物や書類が展示してありました。書類は筆で書いていて、昔の人の字が丁寧で上手なのには感心しました。
開墾の労働が非常に厳しいものだったせいか、脱獄を企てる囚人がかなりいたようで、脱獄出来たとしても厳しい北海道の地で、逃亡に成功した者は少なかったようです。また看守を殺害して脱獄した事件もあったようです。
このような先人の苦労があって、現在の私たちの暮らしがあるわけです。改めてそんなことを感じました。
これは本庁舎裏手にある石油庫。当時の建物で現存するのは本庁舎とこの石油庫だけだそうです。
その他の画像
博物館裏手の看板で、近くに囚人達が植えた日本北限の杉林があると知り行ってみました。
案内板に従って行くと、円山公園という所に杉林があるようです。
行ってみると展望台が見えたので、先にそこへ行ってみました。
距離が取れなくて全体は写せませんでしたが、月を模った展望台です。
展望台からは札幌方面から恵庭樽前、旭川方面まで一望出来ました。
下の画像の先に見える白い大規模な建物が月形刑務所です。
左の石碑は開拓の基準点となったことを現しています。三笠の集治監との連絡道路を造る際にここから狼煙をあげて位置を測定したそうです。
そしてこれが北限の杉林。規模としては小さく感じましたが、明治23年に植樹した当初はha当たり4500本って看板に書いてありました。看板に書いてある面積がhaとしたらすごい本数ですが、平成23年7月現在は380本とありました。北限という気候のせいもあるだろうし平成18年にノネズミによる食害で大きなダメージを受けたと書いてあるので、その影響もあったのでしょうか。根本を黒い物で覆っているのは食害対策だそうです。
炭鉄港カードについてはここで終わり。次は帰り道に寄った当別町の記事を掲載予定です。
つづく