母校が七十周年

今晩、帰宅すると郵便受けに母校の芦別高校から少し厚い本のような物が届いていました。同窓会名簿にしては薄目だし、頼んだ覚えも無いし何だろうと開封してみたら創立七十周年の記念誌でした。自分ではすっかり忘れていたけどだいぶ前に同窓会の会報で記念事業の協力金の依頼が振込み用紙が入っていたので、わずかですが協力したから送られて来たようです。

普段同窓会の会報を見ても私達の年代の寄稿など殆ど見かけないのですが、同学年男子がPTA会長になっていて、ずいぶん立派なことを書いていて、大人になったのだから当たり前なんだけど学生時代の印象しかないので何だかおかしかったです。

その他にも同級生や1つ下の子が教師になって母校に赴任していたり、自分達が学生だった頃、在校していた先生が年を取っていたり歳月の流れを感じました。

ラグビー部の顧問にはOBの熱心な先生がいるみたいで、平成4年に期限付き教諭ラグビー部コーチをだった方が平成16年に教諭としてラグビー部監督となり赴任したようです。平成4年に南北海道本命と言われていたのが決勝で函館大学付属有斗高校に負けたことが、強い思い入れになっていたのでしょうか。最近全道大会で山の手に敗れはしたものの決勝に進出したのもこの先生のおかげだったんですね。ネットで検索したら、こんな記事を発見!

http://rugbyreferee.aspota.jp/2008/07/post_249.html

こんな先生本当にいるんだ~。私が在校していた時の広瀬先生もすごい先生だったけどな。

でも色々な人の文を読んでいると芦別に3つあった高校が2つになり、とうとう1つになり、学級数も減り何だかさびしい感じもしました。実家が石狩に引っ越してから10年以上が経ち、それ以来一度も芦別には行っていません。

数年前JRでばったり実家が芦別にある同級生に会った時「久しぶりに芦別に行ってみたいな」と行ったら「行かない方が良いよ、さびしくなるから」って言ってたっけなぁ。都会出身の人にはこの気持ちきっとわからないだろうなぁ。

でも今年は行ってみようと思っています。

母校が七十周年” に対して2件のコメントがあります。

  1. ぶらんぼう より:

    同級生の仰ること、分かります。
    わたしの通った高校は隣の四日市市なのですが、その市の中心部はとても寂れてしまっています。
    土日ともなれば人をかき分けて歩かなきゃアカンだのに、今ではシャッター街になっちゃいましたよ。
    母校は、ほぼ女子高化してますし。ま、これはわたしが通っていたころからなんですけど(^-^;

  2. NAOJI より:

    四日市みたいなところでもそうなの?
    郊外型になって中心部が寂れるっていうのは、どこも共通なのかもしれないですね。北海道では伊達市という所が中心部に色々な施設を集約して高齢者で車が運転出来なくても住みやすい町を計画しているみたいですが。

    私の出身地は芦別も含め、周辺の自治体が産炭地だったため、その落ち込みたるや、相当なものではないかと思います。高校もずいぶん統合され減ったし人口も私の市は1万7千人。5千人以下でも市という自治体もありますから。ああ、こういう話を書いているとまたさびしい気持ちになるのでした。

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