2025年岩手遠征5

陸前高田へはポケふたから800mぐらいのBRTの「内湾入口」から乗車しました。

途中で見つけたマンホール(気仙沼市はマンホールカードを発行していません)

気仙沼市役所の裏山に乗車場があるんですが看板があまりないし山裾みたいな場所で方角間違えていないか少し不安になりました(^^;

こちらは少し高い場所にある市役所庁舎「ここまで津波が到達していたのか」と驚きました。

奥の更に高い場所に古い庁舎がありました。その裏山に乗車場がありましたが、その山は安波山(あんばざん)という山で山頂まで登山出来るようです。

BRTはかつての鉄路がアスファルト舗装になっていて1車線しかない車道です。1時間に1本程度なので行きかうことはあまり無さそうですがトンネルの手前で退避出来るようになっています。

鉄道のトンネルをバスが通るのも何だか不思議な感じがしました。終点は三陸鉄道の起点である大船渡市盛で所用時間90分程度です。BRTって鉄道と車道を両方走れる車両かと思っていたけど違いました。

鉄道跡を利用した道路は次の鹿折唐桑までで、そこから先は一般道と高規格道路を走ります。

乗車40分ほどで陸前高田に到着しました。1つ手前の停留所が「奇跡の一本松」だったのですが距離感がつかめていなかったので下車しませんでした。そちらには道の駅と津波伝承館があり平日でも旅行者が結構訪れているようでした。

陸前高田駅。みどりの窓口のサインがありますが平日は無人です。そしてBRTがここに停まるるわけでもないので駅って感じがあまりしない建物でした。

周辺には「まちの縁側」という観光案内所の入った施設や博物館、震災で犠牲になった人の名前が入った追悼施設がありました。

やなせたかしさんのイラストを元に制作したモザイクタイルとメッセージボードがありました。やなせさんは勝手に奇跡の一本松に「ヒョロ松君」と名前を付けたので、松の木が枯死した時には本当にがっかりしたそうです。しかし松の木の命が繋がっていること、復元されたことが「生きる希望と勇気を与えてくれる」と書いてありました。

佐々木朗希選手のマンホールはまちの縁側の観光案内所付近にありました。一時はどうなるかと思いましたがシーズン後半クローザーとして活躍してますよね。

そして「まちの縁側」裏手に広がる荒涼とした風景と震災遺構として残された建物を見たら泣けてきました。震災時この建物の屋上まで津波が襲って来たそうです。

2020年と1970年代の航空写真を見るとこの辺は昔から田畑だったようですね。1970年代の写真には現在まちの縁側が建っている辺りに陸前高田駅らしき建物が見えます。川岸周辺にあった建物は今は無く、少し高い場所に少し建物が建っているようです。


ポケふたが陸前高田市立博物館前の道路を挟んで向かい側の本丸公園通りにありました。その他陸前高田市のマンホールもありました。

気仙沼もそうでしたが、復興事業で似たような商店街が出来ている印象です。いつも観光が3連休明けの平日になってしまうので、定休日の店も多くどこも寂しいですが週末は観光客が来るのでしょうか…。

この後どうしようか…盛まで行って三陸鉄道に乗って釜石まで行っても昨年みたいに釜石線が急に運休なんてことになっても大変だし、風が強くて寒くおまけに雨もポツポツ降ったので折返し早めにホテルに戻りました。

つづく

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