2024年10月岩手遠征4
平日だからガラガラだろうと思ったら前の記事の写真を見るとわかると思いますが2両編成の列車の席が殆どが埋まっていました。
釜石まで2時間ぐらいかかるので立ちっぱなしも辛いから、4人掛け席に年配のご夫婦が2人で座っていたので相席をお願いしました。
聞くと旅行会社のツアーで宮古から乗車して浪板海岸で下車し、その後は観光バスが迎えに来てくれるとか。列車の本数が少ないから、それだと便利ですよね。
宮古~釜石間は震災の影響なのか防潮堤で海の見える場所は殆どありませんでした 😥 安全のためだから仕方ないんですけど…
唯一、車窓から開けて海が見えるのが、その浪板海岸だったのです。
浪板海岸から3駅で鵜住居駅に到着。
釜石市はマンホールカードを3種類発行していて、そのうちの1つが鵜住居駅前にある「いのちをつなぐ未来館」で配布しています。また駅前にはポケふたもあります。ポケふたもデザインがラグビーボールっぽいですね。カードになっているデザインの蓋はこれから向かう鵜住居復興スタジアムに設置されています。
ラグビーワールドカップ開催を記念して作られたシンボルボールです。
カード配布場所でマンホールの設置場所地図を配布していたので最短距離でスタジアムに行くことが出来ました。知らないと少し遠回りしてしまったかもしれません。
カードデザインの蓋は徒歩で向かうとスタジアム入口付近にありました。右のデザイン蓋は知らなかったのですがスタジアムの周囲を時計回りに歩いていて見つけました。せっかく地図を配布しているのなら、この蓋の位置も載せたら良いのではないかと思います。
スタジアムは芝の手入れ中でした。よく整備されていてきれいな芝に見えました。この施設の維持管理は結構大変なのでは?
このスタジアムはラグビーワールドカップ2019の試合が岩手県に招致されたことで建設されましたが、忘れもしない私が50キロ競歩に出場の時で台風で飛行機や新幹線が止まり、特急と北海道新幹線、高速バスを乗り継ぎ何とか盛岡に着いた時で、その日開催予定だった試合が台風で中止になったのでした。
スタンド壁面には三陸産ホタテなど貝殻を使って作られたモザイクアートがあります。右はスタジアム玄関に貼ってあった地元釜石シーウェイブスのポスター。前身の新日鉄釜石時代は日本選手権7連覇という偉業を達成した名門チームでしたが昨シーズンはリーグワンD2最下位、入替戦で何とかD2に留まりましたが今シーズンは奮起を期待します。
こちらは震災後に出来た水門。
そういえば先日プロジェクトXで、ここ鵜住居で津波の瓦礫で道路が塞がり孤立した集落の人達を助けるために道路を啓開した人達の話が放送されていましたよね。その時には鵜住居に行くと決めていたので興味深く放送を見ました。また、鵜住居地区は防潮堤が500mわたって破壊され津波が中心街の奥深くまで押し寄せたそうで、死者行方不明者が580人、地区全体の住戸約7割にあたる1653戸が全壊したそうです。
1974~1978年の間に撮影した航空写真と2022年の写真を並べてみます。
震災前の駅付近は田んぼと住宅地だったようですね。写真が古い年代のしかないので震災前は田んぼも住宅地だったかもしれません。
↓小学校は震災後に高台に移転したようです。
今回三陸海岸を訪れてみて気づいたのは海岸に近い所、恐らく以前は建物が建っていたであろう場所が草むらになったままなことでした。津波の被害に遭った方達はきっと安全な場所に移転したのでしょうが、とても寂しい風景でした。
釜石行きの次の列車まで1時間以上、ちょうど駅前から釜石中心部に行く路線バスがあり、バスで釜石へ向かいました。
つづく
三陸鉄道は人気なんですね。でも防潮堤が高くなって車窓から美しい太平洋が見えないのは残念です
釜石市は新日鉄釜石が全日本選手権を7連覇したラグビーの街なんですね。確か松尾選手でしたか名選手がいましたね。ワールドカップの試合も誘致したのに今は寂しい状況の様ですね
街並みも地震の後遺症で大きな変化があるようで復興には時間が必要ですね(*^-^*)
北海道だと奥尻島もそうなんです。被害の大きかった島の南部が高い防潮堤で海が殆ど見えなくなりました。住んでる人にとっては切実ですから仕方ないのですよね。
新日鉄釜石、松尾選手有名ですよね。鉄の街の男達は屈強だったんですね。
鵜住居復興スタジアムは釜石シーウェイブスのホームグラウンドになっていてリーグワンの試合も何試合か開催されているようです。試合観戦に来るとしたら車が無いとなかなか大変そうな所です。
神戸と違い、三陸も能登も震災で過疎化が進むんじゃないでしょうか…(◞‸◟)