ライダー時代の思い出5

翌日、入笠林道を通って南下した記憶。途中に牧場があり、そこの人に話かけられたんです(北海道からツーリングに来る人が少ないのでナンバー見て話しかけられることは多かった)そのおじさんは「オラ北海道の別海にべこ買いに行ったズラ」って言ってました。信州の人って本当にズラって言うんだ~、まあ北海道のベサみたいなもんでしょうけど。耳慣れない方言だったのでとても印象に残っています。

そこから先、どう行ったのかあまり覚えてないけど山の中を走って南アルプス林道の入口に着いたけど、残念ながら通行止め。ゲートの前で写真撮ってたら、係の人が写るようにゲートを少し上げてくれました。 🙂

国道に出て更に南下して大鹿村へ行こうと思ったんですが、途中の分杭峠が時間通行止めで1日に4回程度決まった時間に通れたように記憶してます。その時間が合わなかったので予定変更して北上、権兵衛峠を通って木曽へ出ようと思ったら、権兵衛峠も通行止めで遠回り。塩尻まで出てから木曽へと向かいました。

当時の信州って、とても道路事情が悪くて、通行止めの道路は他にもあったような気がします。


木曽に行ったのは、百貨店の家具売場に勤めていた時に取引先だった木曽漆器のメーカーを訪ねるためでした。

楢川村という、旧中山道の宿場町で、木曽漆器の産地でもあり、漆器メーカーがいくつもありました。うなぎの寝床みたいな間口が狭くて裏の道までが一戸の家がいくつもあったような記憶。今ならきっと色々写真撮ったと思うんですが残念ながら街並みの写真は無かったです。

この方はメーカーの営業マンだった方のおじいさんで有名な職人さんだったようです。


この日は天気が良くなく、旅の疲れも溜まってきたので木曽の駒の湯という温泉旅館に泊まりました。地元の山菜や魚を使った料理で久しぶりにちゃんとした物を食べたような。


翌日は飛騨高山へと向かいました。

つづく

 

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