ライダー時代の思い出2
翌年の春、5年間働いた職場を退職して、いきなり道外へツーリング。
目的地は鳥取砂丘でした。免許取立てで公道の運転経験も少ないのに怖いもの知らずでしたね。 😆
小樽から舞鶴までフェリーに乗り、天橋立を散策した後、丹後半島縦貫林道を走って、その後はず~っと海岸線を通り鳥取砂丘まで行った記憶です。
なぜか当時の写真が殆ど残ってないんですよね。 😥
数少ない写真の中から…
どこで撮ったかも覚えてないけど、恐らく舞鶴か丹後半島縦貫林道で撮ったものだと思います。海の砂の白さや北海道にはない入り組んだ海岸線に松が生えていたのが印象に残っています。
これは少し前にブラタモリにも登場していましたが兵庫県にある玄武洞です。玄武岩の柱状節理。今にして思えば、もっと上手く撮れなかったんかいと思いますね。
それで思い出したのが当時持っていたカメラがコダックのディスクカメラでした。今でもメルカリに出品されているのにびっくりでした。
ネットが無い時代だったから、行ってみないと分らないことが多くて、舞鶴から先、鳥取までコンビニが一軒も無く、地元のスーパーで買い物した記憶。当時から北海道では国道を走っていればコンビニがあったもんですが山陰地方がこんなに辺鄙な場所だとは思いませんでした。
目的地の鳥取砂丘に着いたのは夕方だったのでラクダはいなかったし5月中旬GW明けだったからなのか観光客も殆どいませんでした。天気は良くて写真も撮ったはずなんだけど見つからず残念。
宿は砂丘の近くにあるここでした。
当時は公営の宿や国民宿舎の載っているガイドブックがあって、それに載ってる所に電話予約する時代でした。
夜になって窓から見えた漁火が印象に残っています。
翌日は福知山だとか山地を走って京都へと向かいました。北山杉の生えてる所を通って高雄に出たと思います。京都では嵯峨野の民宿に3泊しました。
さすがに初心者ライダーなので京都市内は運転出来る自信がなくてバスで回っていたと思いますが、どこに行ったんだか殆ど覚えてません。
- 京福電鉄に乗ったこと
- 保津峡に行こうとして電車で保津峡駅に行ったけど、それからどこへ行ったら良いのかわからず引き返したこと
- 森嘉という有名な豆腐店の向かいにあるお店で食べた、そこの豆腐を使ったという湯豆腐定食が美味しかったこと
覚えてるのはそのぐらいかな 😆
帰りは敦賀からフェリーに乗って帰りました。今なら21時間ぐらいの乗船時間で済みますが、あの頃の舞鶴行きなんて30時間以上かかったと思います。
携帯電話も無いし、フェリー内で映画やテレビを見るか読書するぐらいしか暇つぶしが出来ない時代、二等船室にライダー席があって、そこで一緒になったライダーと情報交換したりするんですよね。行きのフェリーはどうだったか覚えてないんだけど、帰りは広島の男性と私と同じく道外ツーリング帰りの女性と話したのを覚えてます。
最初の記事の写真と前後しますが最初はオフロードブーツやウェアは持っていなくてこんなスタイルで乗ってました。
タラスブルバのフィッシングジャケットにICI石井スポーツで買ったワークブーツでした。
あの頃、アウトドアブームの波が起きて、職場の取引先の人がフライフィッシングなんか始めたりして、その影響だったと思います。石山通のミニ大通にあるテムズなんか時々見に行ってました。元々父が釣り好きで子供の頃からよく一緒に釣りに行っていたので自分の好みに合っていたんでしょう。
隣の女性は教習所の同期でCBRに何十年も乗ってました。認定校と違い、みんな長くいるので仲間が出来やすいんですよね。昨年まで年賀状のやり取りしていて、「まだ乗ってる何十万キロ」とか書いてたっけなぁ。
つづく