技術専門学院時代の写真

GWに押入れの整理をしていて昔のアルバムを見たりしてたら20代の頃に1年間通った技術専門学院時代の写真があったので当時を回想してみます。

私が28歳の時に入学したのは札幌高等技術専門学院で、以前は職業訓練校と呼ばれていた所でした(横路知事の時代です💦)

27歳の時にバブル崩壊のあおりで当時、派遣社員として働いていた建築設計事務所から雇止めになり、雇用保険の受給が受けられたので、この機会にステップアップしようと思ったのが入学のきっかけでした。

新卒者も入る課程なので数学と国語とあと1つは忘れたけど、3教科の入試もあったんですよ。

試験を受けた頃は仕事はしていたので勉強と家庭と仕事の両立は大変だった記憶です。数Ⅰレベルでしたが数学が一番大変でした💦

雇用保険の給付を受けていれば、この学院に通っている間は延長給付が受けられ交通費と1日500円の訓練手当がもらえたんです 💡 だから一旦社会人になって再度学びたい場合に生活費の不安も少なく勉強に専念出来たのです。

私の入学した建築科は卒業後、二級建築士の資格取得を目指したり施工管理が出来る建築大工(当時スーパーバイザーと呼んでいた)を養成するというカリキュラムでしたが、はっきり言うと1年でそれは詰め込み過ぎだろって感じでした。翌々年からだったか、2年課程になったのでその時に入学出来れば良かったんですけどね。

大工を養成する学校ですから授業の大半は実習で、冬期間になると座学が増えて法規、規矩術、設計製図や木造の構造計算なんか勉強しました。


実習は女性には体力的にきついことも多々ありました。

カンナかけで全身筋肉痛、構造材の切込みではノミをゲンノウで叩くので、その衝撃か結婚指輪が変形してガタガタに、2×4の実習はくぎ打ちが多いので手の皮が剥けたりとか、今思い出しても色々苦労しましたね。

これはガス溶断の実習をしているところで、やっているのは私です。爆発しないか怖かったです💦

この他にアーク溶接の実習もあり、溶接の時に被るお面みたいなのがあるんですが暗くて見えづらく、時々裸眼で確認してたら、その日の夜中に目がゴロゴロして夜中に目が覚めたっけなぁ💦


これはレベルを使った測量の実習をしているところです。しゃがんでるのが私で、多分、野帳つけてるんでしょう。

同じ学院に測量科もあったので(今は無い)、土木の仕事をするなら測量科に行った方が良かったかもですね。


これは住宅基礎の鉄筋加工組立の実習ですね。前列右端が私です。

この後、コンクリートの打設はしませんが型枠を作る所までやりました。鉄筋はバーベンダーという工具を使って人力で加工したんですがφ9とかD10(鉄筋径のこと)だと女性でも加工出来ますがD13になると私の力では出来なかった記憶があります。

写真の日付で思い出しましたが夏休みは短くて、それが明けると1か月間現場実習があり、2×4住宅の現場へ行って大工さんのお手伝いをするんですよね…。足場にも上がりましたが3段目になるとグラグラして怖かったなぁ。


これは修了検定です。構造材に墨付けをしている所です(顔が白い 😆 ファンデ白過ぎ💦)

確か寄棟屋根の隅の部分を作ったような記憶。この検定に合格すると建築大工の二級技能士補となって学科試験免除で技能士の実技試験が受けられたのではなかったかと思います。

実際の住宅現場で今どんなことしてるかわかりませんが、構造材なんて現場で墨付け切込みなんてやらないで工場でプレカットされたものを組立てるだけみたいな感じじゃないんでしょうかね…?

でも継手仕口など作るのは面白かったですよ。こういうこともやっぱり才能みたいなのがあって素質のある子は隙間なくピタッと嵌る物が出来るんですよね。


卒業後の就職先はハローワークと連携して学院で斡旋してくれるんですが、住宅メーカーの仕事に魅力は感じておらず土木の仕事をしたかったので、自分で探して鉄道の設計コンサルタントに就業しました。

設計は出来なくても自分で図面を書いて、物を組立てるということが今の自分にとって大きなアドバンテージになっているんだよな~って、1年間苦労したけど行って良かったなと25年以上経った今でも思います。


オマケですが、次年度の学校の入学案内、今も取ってあるんだけど、これは私です。一生に一度の手のモデル体験でした(笑)学校にカメラマンが来て実習風景の写真たくさん写真撮っていたんですが使用されたのはこれ1枚でした。 😆


担任の先生二人はYANCOさんと同年代だったからもう退職してるでしょうね。中卒で大工上がりだけど1級建築士や管理建築士の資格持っていました。名前は忘れちゃったけど良い先生でした。

印象に残ってるのは大工上がりだから、設計する時も施工する人の立場になって考えていました。土木もそうだけど時々施工しにくいとか施工のことを考えてない設計はあるんですよね。

同期生は30人ぐらいいたかな?社会人は私以外に男性が3人で自分と同年代だったと思います。住宅メーカーの営業マンだった人、構造設計事務所に勤めていた人、システムエンジニア、そんな記憶です。

他は新卒で10歳下だったけど、もう40代半ばのいいオッサンになってるんでしょう。建設業にどのぐらいの人が残ってるんだろうな…。

昔の写真を見てそんなことを思い出したのでした。

 

技術専門学院時代の写真” に対して4件のコメントがあります。

  1. navi より:

    うほー。男前なNAOJIさんだ。かっこいいですねえ。制服がガテン系だし。
    手モデルが指輪とかマニキュアとかハンドクリームのモデルじゃないのが残念ですが。

    1. NAOJI より:

      今もごくまれに現場に行くことがあり、その時は作業着です(^_-)-☆
      指輪とかマニキュアのモデル、全然ガラじゃないですよね。
      マニキュアなんて塗ってられないです(笑)

  2. 建築を学ばれていたんですね!!すごい!!
    図面を引くのかと思ったら、実技もされるんですね(*^^)v

    1. NAOJI より:

      実技はきっともう出来ないと思います(教科書は取ってあるので試しにやってみたいと思うけど)
      今は土木の仕事で施工の仕事はしないけどパソコンの中でモノを組立ててます(^_-)-☆

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